2009年06月29日
コンフェデ決勝
自分的にはもう終わったコンフェデではあるけれど、朝ウルトラ早起きして(というよりほとんど寝てない)コンフェデ杯決勝 ブラジルVSアメリカを観ました。
今クールのドラマをDVDに落とすなり消去するなりとHDDの整理をしつつ見ていましたが前半でアメリカが2点入れたときには「えええええええ!!!」と声をあげてしまいました。
窓開けてるのに…
隣の部屋で喧嘩している声がバリバリに聞こえていたのでこっちが起きているのがわかると申し訳ないかな? ってボリューム絞って見ていたのに…
隣、おかげですっかり静かになりました。 ま、いいか。 ホントにうるせーんだもん。 お隣さん、しょっちゅう夜中 だいたい3時とか4時に窓全開にしてるのに言い争いをしとります。 相手の声はほとんどしません。 だいたいは男性の方が威張っていろいろ言ってます。
とっても大人しそうなのに夜中によく豹変しとります。 狼かよお前は?
方言的なこともあり私にはキツク聞こえるのかもしれません。 でも「こんなめんどくせー男やだなあ」と思っちゃったりするくらいに威張ってます。
話戻ってコンフェデ、後半に3点取り返して勝利するあたりブラジルのスタミナ勝ち。 ドゥンガ監督よかったね。
さて数時間また寝まふ。 今日は1日長いよ。
2009年06月14日
呆然
太めの従業員ばかりのその店に久しぶりに顔出し、仲良し従業員が国へ帰ったと知っていたから新しいお店の子も沢山いて…
狭い店内のソファーの一番向こうに座る16からの友人Y君のところに行くにはその前に座っている人に立ってもらわないとそこまで行けない。
「ごめんねー立たせて」とてっきりお店の人と思ってタメ口でぶつかりながらも奥へ進む私に
「あ、大丈夫」と返事をしたからやっぱりてっきりお店の人かと思い、そのままその人とY君の間に座ってお酒を作ってもらって乾杯。
その数分後、どーにも聞き覚えのある声にふと隣を見たら…
「お店の人じゃないじゃないですか!」「 ごめんなさい! てっきりお店の人かと!」
と平謝りする私にゲラゲラと笑う野太い声 「間違うな! そっちの趣味ねーぞ」と笑う。
明るくてみんなの話をニコニコ聞いていてちょっとばかりエロで…そんな初対面でした。
涙がとまんないです。 早すぎますよ三沢さん。 合掌
2009年03月04日
P & J
無性に食べたくなるアメリカなものシリーズ・パート2
『Peanut Butter & Jelly Sandwich』
食パンの一枚にピーナッツバター もう片面にジャム(イチゴがメジャー)を塗ってはさんで「はい、出来上がり♪」 向こうの子どものお弁当の王道、これにリンゴ(まるごと一個)かキャンディバーつければ完璧なランチ! ときどきお父さんのランチもこれだったりする お国柄やのう…
千葉の農家で買った自家製手作りピーナッツバターと自分で作ったイチゴジャム。 美味しくないわけがない( ̄ー ̄)
あ、クリームチーズとジャムのサンドをバターをひいたフライパンで軽く両面キツネ色に焼いたサンドイッチも大好きです。
2008年12月21日
毎冬恒例蹴球観戦
あ、どうも。 1985年生まれの『おっさん』と『ガキ大将』扱いしている2人にほれぼれして帰ってきました。
おっさん=ルーニー ガキ大将=C・ロナウドでありますよ。
毎度毎度、冬のお楽しみなクラブW杯、もともとのトヨタ杯。 そういやマンUのきたトヨタカップ(1999年)はベッカムとロイ・キーンがきてたよのう。 ベッカム当時24歳。 現在『おっさん』は23歳…見えないのだが23歳(--) でも走りだすと「若い!」と思う速さでありました。 キトにも惜しいチャンスが随分あったけど結局1-0で終わってしまいました。
今回の3位決定戦はガンバ大阪とメキシコのパチューカ。 去年のレッズといい、今年のガンバといいアジア代表を実力でもぎとってくれてよかったです。 開催国枠なんてーもんいらないと思ってたからその枠で出場ではないことが協会の思惑はずれに密かにニンマリであります。 今後2年間はUAEにて開催だけれど、UAEでも開催国枠あるのかな? (要項読んでないのでわからない) 開催国枠で観客動員数増えるのかは微妙じゃないのかなあ。 W杯とかオリンピックほど出場国ないのに開催国枠ってのもどーなのよ? パチューカのGKカレロ…チラベルトと同じようなニオイのカレロが見られてちょっと得した気分でありました。
しかし寒かったです。 いつもの年より気温は高かったけど、ものすごい風の吹きまくる1日で、6時間ずーっと座っていたから凍りつきそうでした。
来年と再来年、UAEでの開催になってしまったからつまんないないなあ…いっそいくか?UAE?
2008年11月10日
蹴球メモ
映画にこのごろ行ってないのう。 と、ぼやく。 秋のお家でのテレビ鑑賞は映画館を遠ざけますなあ。
伊のジャンフランコ・ゾラがプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドの監督ですよ。 Wikiにも書いてあるよーに、W杯じゃちらりと出ただけだけれど、それでもなんだか心に残ったゾラさん。
そんなゾラさん、その試合を生観戦していた私としては、その時代の選手が監督になるってのがびっくりしたけれど、なんだか感慨深い。 もっと昔の選手、例えばベッケンバウアーやヨハン・クライフが監督になったり、プラティニがUEFAの会長になったりしても、当時彼らが選手として活躍していた頃はこっちはお子様だったので、なんか今回のような気持ちにはならなかったのよ。 東海大相模高校で甲子園行って、東海大から兎軍団、そして兎チームの監督へと就任した原さんと同じくらいにずーっと、決して熱心にじゃないけれど、でもなんだかいつも見ていた気がする。 よく説明できないけれど、そんな感覚になってしまうゾラには頑張っていただきたいと思う。
1994年W杯アメリカ大会1回戦のナイジェリア代表戦において途中出場で念願のピッチに立った。しかし僅か10分後、レフェリーの不可解な判定によって退場処分を受ける。その後は出場機会を失い、結果としてこれが生涯唯一のワールドカップ出場となった。
リトバスキー(元西独)もリヒテンシュタインのクラブチームの監督就任だそうだし、ミハイロビッチはボローニャ(伊)の監督とな。
で、そんな監督就任ニュースでも、ゾラさんと同じ94年大会の観戦中、「絶対あの目はやばい」と言ってたら案の定ドーピング検査で陽性だしてた、あの方。 激太りするわ、心臓発作するわでも蘇る不死鳥なあの方。 薬物中毒のリハビリ施設でコカ○ン吸って、しまいにゃおねーちゃん呼んじゃったあの方。 86年メキシコ大会のときは本当にすごかった選手時代そして、神の手もお持ちのあの方。 ディエゴ・マラドーナのアルゼンチン代表監督のニュースには笑った驚いた。 国民の大半(75%とか?)が反対しているところや、それに関して「それならアルゼンチンからでていけ」発言といい、い・ろ・ん・な意味で今後に期待。