2005年10月30日
なるほど
「なんだったかなー」と、出てきそうで出てこない言葉・単語・人名。 普段はなんともないことを急に忘れてしまうと心の中のモヤモヤが思い出すまで続く。 夜中寝ている時に急に思い出して、「わかったー!」と布団から上半身起こして叫ぶ。 モヤモヤがとれてその後は安眠♪ そういうことってよくある。
27日のコンサート中、スクリーンにポール・ロジャーズが映ると、「なんだか、誰かに似てるよね?」とボヤく私であった。 誰だっけなぁ? モヤモヤ・モヤモヤ・・・・・
2日間モヤモヤ~していたら29日の横浜でのコンサートが終了して直ぐに送信されたと思われる、高校のクラスメイトなROCK小僧H君からの携帯メール。 それもたった一行。
<<<ポール・ロジャースがコンサート中、空手の角田に見えてしまって仕方がなかった。>>>
なんかスッキリ!
2005年09月05日
スープ皿といわれる所以
ハリケーン、カトリーナの猛威でジャズ好き、または酒好きの人なら一度は訪れてみたいだろうニュー・オリンズが大打撃を受けてしまった。 スープ皿のように海面より低い地域で防波堤に守られて川と湖からの守られていたからその防波堤が決壊してしまったせいで惨劇となってしまった。
バーボン・ストリートで酒瓶もってジャズクラブをはしごして、朝っぱらからCafe du Mondeで粉砂糖まっしろになるくらいまでかけたベニエ(ドーナッツ生地のようなドゥを油で揚げたお菓子)とチコリ味のコーヒーを「チコリ味って・・・」といいつつ飲んで。。。。そんなところのはずのニューオリンズ。 スーパー・ボールの聖地は今は被災者でごったがえているようだし、以前の職場で交流していた人たちも大丈夫かなあ、と心配になる。
被災者の方にはお見舞いをするとともに、早く通常の「南部のまったりライフ」に戻れることを願っております。
2005年07月07日
Life Must Go On
んー、めまぐるしく日常は変わりますなあ。 数日前はLIVE8でときめき、その後オリンピックの決定で喜び、翌日にはまた激しく鬱になるような事件。 同じ都市でこんなに喜怒哀楽されると生活している人はストレスたまるだろう。
アタクシすでに屈折しとる お・と・な ですので「世界中のみんなが仲良くなりますように」なんてーことを本気で言う方に、ニコニコしつつも心の底では「んなこと出来るわけないだろ(´・ω・`)」と思ってしまうわけです。 短かろうが、長かろうが「上げ膳据え膳」でない海外生活をしたことある人や外国人となんかしら付き合いがある方なら歴史、人種、宗教etcを目の当たりにしてるので、私と似たりよったりの「屈折くん」は心の奥底に住みついていたりするのではないでしょうか? えっ?アタシだけ・・・・?(byだいたひかる風)
そんなことを思う屈折ぶりでも 「今日のご飯なんだろうな?」「明日はデートだあ♪」「借金をなんとかしなければ」等々の小さな幸せや日々の暮らしで精一杯の生活している一般人を狙うってのはやりきれないなあ。。。。とも思い若干ブルーになります。 又、せっかくの今後のアフリカについて話し合うチャンスだったのが縮小されてしまったG8サミットにも残念でなりませんでした。
事件があってから民放のニュースは見ておりません。 以前学んだのはあまりにも大げさに煽るだけ煽り、おまけに「ドロドロしたBGMつき」で編集をする民放のニュースってのは精神衛生的によろしかないからです。 NHK-BS経由のBBC、CNN、ABCあたりのニュースにゃそれがないからよいのです。
2005年03月29日
空港で靴を脱げ
すでに2003年にNYへ行った時空港で「靴をぬげ」といわれていたアタシにとっては(その時の旅行記はこちら)「今更なーに言ってんだ? このごろ多いらしいぞ、靴ぬげ発言」と思ったりしたわけだが、やはり首相レベルとなるとVIPだったりするからここまで怒ったのだろうか?
パプアニューギニア首相、豪空港で靴脱げといわれ抗議パプアニューギニアのソマレ首相は28日、オーストラリア・ブリスベーン空港で飛行機を乗り継ぐ際に係員から保安検査のため靴を脱ぐよう指示されたのは「侮辱」だとして豪州政府に抗議することを明らかにした。
首相は今月24日にニュージーランドで開かれた南太平洋地域の首脳会合に出席後、ブリスベーン経由で帰国する途中だった。搭乗前の検査で靴を脱ぐよう求められた首相は「靴の中に何も入っていない」と主張。待合室に引き返し、しばらくして機内に入ることができたという。
首相は「このような扱いを受けたのは初めて」と怒り心頭。豪州政府が方針を改めない場合、対抗策としてパプアニューギニアを訪問する豪州側要人に同様の措置を取ると“警告”している。
「侮辱」というくらいだからそれなりの言葉でもあびせられたのでしょうか? オーストラリアの新聞サイトをぐぐってみたが出ていないからわからないけど、歴史的問題ってのもあるのかもしれん。 このあたりの歴史を読むとちょっと思う。
19世紀の植民地主義の時代にニューギニア島を東西に分割し、西半分をオランダ、東半分をオーウェン・スタンレー山脈、ビスマルク山脈で南北に分け、ニューブリテン島などを含んだ北半分をドイツ、南半分をイギリスが獲得した。南部は1901年にイギリスから独立したオーストラリアに継承された。1914年からの第一次世界大戦にドイツが敗北すると、ドイツ領の北部はイギリスの信託統治領となった。
1941年からの太平洋戦争中はニューギニア全島の北半分を大日本帝国が占領し、北東部を中心に連合国との激戦を繰り広げた。終戦後はイギリス領の北部をオーストラリアが信託統治の名のもとに継承した。
1975年に南北合わせた領土がパプアニューギニア独立国として独立した。
温厚そうな顔している首相だけにね。 パプアニューギニアもオーストラリアも自分にとっては近い国なのであまりもめてほしくないとは思う。
2005年03月10日
食材がぁ
おーん、おんおん(涙) 事実上の撤退ってことじゃないか。
カルフール日本法人を買収 イオン、業務提携も発表
大手スーパーのイオンは10日、国内で8店舗を展開するフランスの流通大手カルフールの日本法人「カルフール・ジャパン」(東京)を同日付で買収し経営権を譲り受けた、と発表した。買収額は明らかにしなかった。
(中略)
イオンは、カルフールと業務提携したことも明らかにした。カルフールから、国内でのプライベートブランド商品の独占販売権を取得。イオン各店で同商品の取り扱いを始めるほか、カルフールの商品調達網を通じて、欧州を中心とした世界の食材や衣料品などを低コストで調達する。
Yahoo! 経済総合ニュース3月10日
アメリカの食材はあんまりないものの、ヨーロッパの食材はいろいろそろっていて「さすがはカルフール!」と狂喜乱舞しとるのに! 車で一時間かけて高速代片道1200円かけてまで幕張店に食材を買いに行くおバカがここにいるのに! ああ、ショック。
やはり日本人の好みとはいまひとつ合わなかったようだ。 今日ニュースでインタビューに答えていた地元の奥様は「めずらしいもの(食材)はカルフールだけど、いつもの食材はヨーカドー」と答えておった。 むー、確かに人は少なかったもんなあ。 スペースも広すぎて毎日のお買い物向きではないとは思う。
でも今後も海外食材もおいてくださいよー、と切実なお願です。
つい最近も行ったばかり