2008年12月05日
年賀状にて思うこと
なかなか師走ざます。 今年はなにかと客人も多くイワタニの卓上コンロが大活躍であります。 COSTCOでボンベまとめ買いしといてよかった。
ここんところの円高で海外からの里帰りの皆さんは「全く冗談じゃーないよぉ」と口をそろえて仰る。 でもって、「この際だから親に借金して円安になったら返す」などと仰る。 ま、わからんでもない。
親といえば、やっと来年の年賀状の印刷が親の分(オフィシャルとプライベート2種 いろいろあんのよ)が終了。 やれやれ。 これを明日EXPACKで送れば気が楽になる。 自分の分はそのうちゆっくりやろう。
もう私の歳になってくると友人の親がお亡くなりになってしまわれる方もでてきていて、その方たちからの喪中のハガキを頂くわけだが、今回考えてしまった喪中ハガキをいただいた。 その内容は『喪中のため年始の挨拶はこちらからは失礼するが、年賀状がこないお正月は寂しいから頂けるのなら頂きたい』というものだった。
大変仲のよい友人家族であり、長年病気と戦った末に亡くなったお母様とも少なからず交流があったため素直に「驚いた」とメールをした。 でも、そういう年賀欠礼のテンプレートも郵便局にはあるのだそうだ。
アメリカなどではクリスマスカードに喪中扱いというのはないので、たとえ親御さんや最愛の人を亡くしたとしてもクリスマスカード(新年の挨拶を含む)は送る。 カードに亡くなったかたを偲ぶような言葉を書いて確かに送ってはいる。
日本でもビジネスなどでは送る場合もあるとは思う。 自分が小学生のとき祖父がなくなったときの喪中の年始を思い出してみれば小さい子どもたちにはやはり寂しいとは思う。 でも、たとえその家族が送ってほしいと言っても送ってもいいものか?と考えてしまい、また気分的に送りたいとは思えないのだった。
私の考えが古いのかね?