2006年12月02日
レッド・リボンを始めてつけたのは1989年
U2がテレビ朝日のミュージックステーションでLIVEをしていた。 う~ん、昨日の興奮がまだ冷めてないわぁ。ボノは世界エイズデーのイベントに参加してからの登場だった模様。
以下2004年に本サイト猫展で書いた日記の転記です。 アタシの気持ちも変わってないが、日本の状況も全然変わってないな。
12月1日からレッド・リボン運動週間です。 あまり自分のサイトにナントカ運動や団体のバナーを貼ることはしないのですが、これは長年かかわっていることなのでトップページに貼らせていただきました。 私が渡米するころ日本では海の向こうで発症されているエイズに関してのニュースが偏見や誤解として騒がれていたまさにその時代でした。 かくいう私も「エイズには気をつけて」なんて枕詞になるようなお別れの言葉に笑って対応していたものです。 もちろんHIVなんて言葉は知りませんでした。 渡米してまだ半分学生だったようなころ、「暇しているんだったら通訳しない?」と1週間ある病院へ通うことになりました。 日本からやってきた栄養士さんがアメリカの病院での視察をかねた研究会でした。 その時紹介してくださった方からは詳細を教えてもらわずに(通訳を依頼したその会社へも詳細はふせていたのだそうです)待ち合わせのホテルへ行ったのですが、その後1週間通う病院というのがエイズ病棟とその時始めて知りました。 最初から怖がるような偏見を持ってもらいたくなかったから待ち合わせの場所まで教えないようにしたのだそうです。 病棟の大半は性感染された同性愛の方でしたが、別室ではドラックの廻し打ちで針から感染してしまった中毒者も入院されていました。 拘束服を着させられ、またはベットに縛られて幻覚を見ているのか叫んでいる患者、知識をあまり持っていなかったから、初日はこれからの1週間が恐怖感もあり嫌で仕方がなかったのを覚えています。 しかし一般病棟の患者さんはそれは穏やかで、毎日通ううちに顔見知りとなり仕事以外の話もボチボチするようになってきました。 あの1週間は悲しかったり、感動したり、大笑いしたり、そして沢山のことを学ばせてもらえ今も感謝しています。 大好きなアーティストがこの世から去っていきました。 身近な友人や知人も何人かこの病と戦ってあの世で行ってしまいました。 昔、「たぶんそのうちいい治療薬ができるよ」と思っていたのに、決定的な治療薬はなく、おまけに他の国よりも感染率があがっているという日本、怖いです。
思い出す人が沢山いる日だよ。
志半ばだった恩師や友人たちを。 やさしくしてくれたNYの病棟の人たちを。 ロバート・メープルソープを、そしてフレディを。
フレディ・マーキュリーのドキュメントフィルム。 先日新宿で公開されていたけれど、時間がとれなくて行けなかった。 先日DVDを購入したが、幼少時代の話は別として、その後QUEENになってからの知人のインタビューはすでにBBCか何かを録画してもらったもので見たことがあった。 しかし、それでも何度見てもHIVに感染してからの彼の行動には涙する。 そして「泣いたらダメだよ」と子供をあやすように頭をなでてくれた恩師を思い出す。
Posted by toto at 2006年12月02日 01:57
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