ロックフェラーセンターでスケートよくやってました。

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出発前: リクエスト編

タバコ7カートン : 現在アメリカは場所によってはタバコ1箱7ドル(780円!) 喫煙者の友人は口をそろえて「最低でも2カートン買って来て!」というけれど、複数から頼まれたのでこれ以上買ったら土産というよりは密輸業者のようなのでこのくらいで勘弁してもらおう。 銘柄もバラバラでどうみても自分用じゃないのもバレバレだよ。 そうそう、タバコ屋でカートン買いするとライターがおまけにもらえるんだね。 しかしライター7個も持っていったら航空会社に没収されるからこれはもらっておこう。 北米線の飛行機は例の事件からセキュリティが非常に厳しいのだよ。 爪きりすら持ちこめない機内、そして機内食ひとつをみてもその名残があるもんな。 ナイフだけはプラスチックってのがなんとも嫌な世の中になったなあと思ってしまう。

雑誌: これは機内持ちこみします。 自分で読んでからお土産にリサイクル。。。週刊誌やスポーツ誌もありゃ女性誌もあり。

めんたいこ: 日本は島国で海に囲まれており、海でつながっている海外への海産物は持ちこみ自由。 (この説明があっているのかどうかわからないが、そう習った覚えがある。) お肉や植物は検疫があるのに海産物はなんでも持っていける(らしい)。 成田空港で冷凍させたものや干物だの海産物のビンづめだのなんでもそろいます。 

CD: 桑田さんだったり、ケミストリーだったり。 買ったのだったり焼いたのだったり(ごめんよJAS○AC)(−−;)

他にも角質取りクリーム、爪用のクリーム、ガーゼでできている赤ちゃん沐浴シーツ、インスタント食品、などなど、そんなことをしていると、スーツケースが2つになる(−−) お土産や頼まれものでそのほとんどのスペースが埋まってしまうのだ。 そして帰りはその空いたスペースに洋服や食材を買ってつめて帰るのがお約束。 恐ろしいことに、その2つのスーツケースだけではすまず、だいたいは+ダンボール箱2箱の大荷物で帰ってくるのだな。 

当時放送中のドラマに「どんなに顔がよくても、あんなパイロットいたら絶対に嫌だ! 無理して飛ぶなよぉ(涙)」とつっこみをいつもしている、北米線がワシントンDCに就航したころからずっと使っている航空機にて出発。 


−10℃

こういうジャカジャカ飾ったビルが多くなったよ。わっはっはっは! この寒さが私は好きなんだよ♪
到着したとたんに絶好調である。 
空港の到着ゲートに来てくれたI ちゃんとハグハグしつつ肺のなかに入る冷たい空気が気持ちいい。 −10度だそうだよ。 雪もチラチラ降っている。
I ちゃんとはその場で別れ、タクシーにのってマンハッタンへ向かう。 
ぶしつけ英語で行き先をつげると「あーん?」との返事。 うーむ、このごろはなにかと欧州づいていたので意識して米語は使ってない生活だったので通じないとでもいうのか? 再度行き先を告げたら「I know」といわれる。 あーそーですか、はいはい。

あいかわらず恐怖を覚えるドライバーの運転。 そんなに飛ばさなくてもいいのに、どうも空港−シティが均一料金になってからますますスピードを飛ばすようになった気がする。 小雪のふるNY、くれぐれも安全運転してくださいよ。 たのむよ。 


ここはどこ?アタシは誰?

綺麗になったTimes SQ.ドラックとセックスの中心地、危険なことこの上なし! といわれていた場所には、ミッキ−とキティちゃんがいた。。。ミッドタウンのど真ん中にはピカチュ−がいた。 これみんなお店です。 ディズニーストア、サンリオショップ、ポケモンセンターです。

治安がよくなったとは聞いていたが着いてから2日目には実感した。 毎晩毎晩子守唄のように街のあちらこちらでがなっていたパトカーのサイレンが聞こえないのだ。 

ジュリアーニ元市長が選挙運動で、「安全を第一に。犯罪に関係しそうな店も前面廃止」と言っていたとき私達は「できるのかね?」と半分は信じていなかった。 しかし、それを本当にやりとげたわけだ。 なんか普通の都会っぽくなってしまったけど。。。とか思うのはわがままってもんである。 危ない場所はそれなりにマンハッタンの外へ引っ越していっただけだし、安全といっても何も知らない状況でフラフラするの危険だろう。 

余談なのだが、よく旅行記とかで「怖いもの知らずってのはすごいよなあ」と思うものがある。友人と読みながら、もう「襲ってください」って言っているような行動をしている文章をみつけたりすると、読んでいるこっちが怖くなる。 「ほのぼの旅行記」のつもりだろうが、知っている人間にとっては「肝だめし」に感じてしまうくらい。 海外にいったら所詮、人の国です。 外務省や現地日本大使館にご迷惑かけないように行動してください。 


Ground Zeroで想うこと

まだあの時の映像はみれないけどね、もう平気かなあ、、、、と思いはじめてはいた。 でも平気じゃないかもなあとも思ってもいたけど自分の中で消化できていた模様。 
ああ、なくなっちゃったんだなあとボーッとみてた。 あれがないと北と南の方向が一瞬わかんなくなるのよね、とIちゃんが言っていたが、全くだ。  ごちゃごちゃしたローワーマンハッタンから見えた狭かったはずの空が一面の大空になってた。

夜NYでツアーガイドをされている方々と食事をしたが、ベテランガイドさんであるUさんが「昔はなかったからあんな感じの風景だったのよ」と一言。  世界貿易センターが完成したのは1973年。 Uさん、その前からいたわけだ。 スゴイや。 ちなみに私が始めてNYに足を踏み入れたのはそれから10年後。 8時間運転して、隣のニュージャージー州から見えたあのマンハッタンの風景に身震いしたのをよく覚えている。 まさかあの時自分がその後住む街とも思わず、ましてやあの風景がかわってしまうとも思わず。  


旧職場とUPPER EAST SIDE

バス大好きです。旧職場へ遊びにいく。 大半は知らない人だが当時の同僚でまだ働いている人もいる。 現支店長さんにご挨拶。 「ああ、じゃあGさん時代の方ですね」「はい、でも入社はその前のKさんの時代から。。。」 というと驚かれた。 非常にお世話になりっぱなしだったKさんはすでに取締役だったりするからねえ、すみませんね、古くて。。。

お昼は元同僚との中華、久しぶりのHOT&SOURスープが嬉しい。 なかなかこんなご時世なので仕事も大変らしいが、それでもみなさんあいかわらずパワフルで楽しいや。 

その後バスに乗って私がずっと住んでいた場所、メトロポリタン美術館も歩いていけるドイツ地区へ移動した。 
ダウンタウン、ミッドタウンは店やビルが随分変わり驚いたのだが、私がいた周辺はほとんど変わっていないので懐かしさもひとしおだった。 クリーニング屋もデリも肉屋もスーパーもみんな健在だ。 ドアマンの大半は定年で代わってしまったがまだ知っている顔もいる。前回会ったのは3年前なのについ昨日会ったように平然と会話が始まるから面白い。


日本文化

どのマンガも実は知らないので残念NYと日本がとても近くなったねえ、とまるで縁側でお茶を飲むおばあさんのような事をつぶやいてしまう。 ダウンダウンには新しくできた日本食料品屋さんが沢山あったし、日本食レストランも回転すしはあるわ、吉野家はあるわ、なんと、たこ焼き屋まであるのだから! 
日本語のフリーペーパーも発行されていてNYのその週のインフォメーションと前週の日本でのニュースや芸能、スポーツなどがまとめてあった。 便利になったものですねぇお爺さんや。 

もともと日本のアニメはよく放送されてたけど、現在は「とっとこハム太郎」「幽々白書」とかをやってましたよ。 ハム太郎の名前は向こうでも「Hamtaro」でしたが、他のハムスターは英語の名前をもらっていました。 忘れちゃったけど。。というか他のハムは日本名すら知らん(−−) ただ、ハムスターが全員で行動するときはちゃんと「Ham-hams」と言うのには大笑いでした。 あと深夜にルパン3世を毎日放送してました。 遅い時間だったので一度しか見られなかったけど、一番日本の声と似ていたのは(似せていたのは)銭形警部、そっくりでした。 不二子ちゃんの名前はちゃんと「Fujiko」でした。 バーバラとかだったらどうしようと思ってドキドキしてたよ。(以前スペインに長期旅行に行った時、毎朝「タッチ」をスペイン語で放映していて南ちゃんが「セニョリータ バルバラ(バーバラのスペイン語読み)」だったあのインパクトの強さは忘れられません) 
そういえば英語版の少年ジャンプは売れゆきはどんなもんなのかな? 頼まれたのでお土産に買ってきたけど、290ページ(厚さにして1センチ)程で$4.95です。


寿司寿司寿司

ご主人は照れ屋さんですにゃ初日はさすがに時差ぼけもあり胃の調子もいまひとつだったので2日目はお友達と寿司屋で夕食。 住んでいたころは日本にいる今よりも数倍お寿司を食べていた。 ネタも新鮮だしお安いからお手軽な外食のひとつだった。 あがりください。

お友達のご主人が経営されているお寿司屋さんに行く。 久しぶりに訪れたのに「お!帰ってきたの?ひさしぶりですね」と言ってもらえたよ。 帰るところがあるってのはいいものだな。 その場で電話をかりてお友達でもある奥様や共通の友人をよびだし、カウンター(向こうだとsushi barといってます)でワガママな注文を沢山してしまった。 ここにくると鰆のたたきは絶対に食べないと落ち着かない。 まさにパブロフの犬状態。

 

彼女のお供の唐九郎君と。 後の光はエンパイヤ-ステートビルです。食後はそのままお友達の家にみんなでなだれこみ、まだまだ話す、話す、そして話す!マンハッタンでも下の方にある彼女のお家はペントハウスということもあり天気がいいと素晴らしい景色が見れるのだがあいにくみぞれの降るお天気。 遠くに見えるエンパイヤ-ステートビルもてっぺんは雲の上にかくれてしまっていて残念。 
「もっと早めに知らせてくれればターキー焼いてあげれたのにー」といわれた、次回はお願いします。 でもご主人のお寿司もきっと食べるだろうから、デザートに七面鳥でもよろしいでしょうか? 彼女はここ数年、着物に凝っていてマンハッタン中どこへ行くのも着物でお出かけをしている。 
マンハッタンのペントハウスに住み、着物を着てターキーを焼く女。。。。素晴らしい!
今度くるときは私も一着持ってくるから一緒に着物でオペラにでも行きましょう♪


ダイナー大好き
どうやってもかぶりつくのは難しいです。長い間日本を留守にするとお米を食べたくなるとよくいうが、同じような理由でよく通っていたダイナーのハンバーガーが食べたくなる。 食べたいと思うととまらない。 
ここは美味しいけど、サイズが大きいことでも有名なダイナー。 さすがの私もこれを一気に食べることは無理なので、レストランの人に頼んで半分はお持ち帰りにしてもらって翌日のお昼にまた食べることになる。 
このごろはこの言い方はあまり使わないらしいけどね、お持ちかえりしたい時は「doggy bagにしてください。」とお願いすると、厨房に持って帰って包んでくれるか、テイクアウト用の入れ物を持ってきてくれるので、そこに自分でつめるかになる。 他にも言い方はいろいろあるけれど、自分で後で食べるのに、また犬を飼ってない人も猫を飼っていてもこう言う。  昔の人が「食べ残しを持ちかえるなんて恥ずかしい」と思ったこともあり「食べ残しを家の犬のお土産にするから包んでください」と言ったのが由来らしい。

レストラン側だって、せっかく作った料理を残されるよりは持ち帰ってもらったほうが嬉しいと思うのでレストランのランクで問題がないと思う場合にはお持ち帰りをするようにしている、翌日暖めて食べてもうまいもんはうまいのだ。 うまうま^^

St. Valentine's day
見た目も食べても甘いもんは甘い。そういえば世間はバレンタインでした。 
日本のようにデパートの地下が世界中のチョコレートで満載になり、そこへ好きな人へだったり、義理だったり、海老で鯛大作戦だったりとチョコレートを買いにきて大混雑するというシーンはこちらではみられません。 どちらかというと、男の人が恋人に花を贈ったり、食事にいったり、友達同士や家族同士でカードの交換したりします。
 
しかしこんな派手派手ケーキは登場します。 ピンクなケーキ(これは一人用のカップケーキ)です。 まだバレンタインのピンクは買ってみるかなと思ったりしますが、シーズンやイベントによっては緑だったり青だったりします。 アメリカに渡ってはじめての誕生日にいただいた40センチ四方のケーキはショッキングブルーでした。 真っ青のケーキはどうも脳内が「食べ物でこの色かい!」と反応してしまいます。 中のスポンジは美味しいけどスポンジをつつんでいるクリームは頭が痛くなるくらいに甘いのです。


 

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